詳しい沿革

1962

米国の宇宙船フレンドシップ7号の記録用カメラとして「ミノルタハイマチック」が搭載される

1950年代、米国のカメラショーに積極的に出展するなど業界に先駆けて海外へ打って出ていきました。当時、世界では超大国による宇宙開発競争が活発化していました。1958年に米航空宇宙局(NASA)が設立され、1961年に有人宇宙飛行に成功、1962年にはジョン・グレン飛行士が地球周回軌道を飛行し、宇宙から見た地球の撮影に成功します。その時使用したカメラが「ミノルタハイマチック」でした。この快挙は、世界における日本のカメラの評価を大きく変えました。その時のカメラは、米国ワシントンのスミソニアン博物館に永久所蔵品として展示されています。

1962

初の欧州拠点を設立

1966

財団法人橘保善会(現 コニカミノルタ科学技術振興財団)設立

1969

史上初の有人月面着陸を果たしたアポロ11号に、露出計「ミノルタスペースメーター」搭載

1968年、米国の宇宙船アポロ8号に「ミノルタスペースメーター」が搭載されました。これは米航空宇宙局(NASA)から、当時当社が市販していた露出計「オートスポット1°」をアポロ計画向けに改良してほしいという依頼を受けて製造したものでした。この露出計は1969年に史上初の有人月面着陸を成し遂げたアポロ11号にも搭載され、世紀の宇宙開拓プロジェクトに貢献しました。

1973

運転免許証を作成する「さくらカラーIDシステム」全国で稼動

1960

複写機一号機「ミノルタコピーマスター」(湿式ジアゾ複写機)完成

カメラで培った技術を元に光学関連機器の開発に取り組み始めました。中でもとくに注力したのは複写機の開発です。1960年に第一号機として湿式ジアゾ複写機「ミノルタコピーマスター」を完成。その後も開発を進め、情報化社会の進展に伴って需要を伸ばしていきます。

1966

初の量産型光学式プラネタリウム「MS-10」一号機を設置

1968

テレビ色彩調整分析器「ミノルタTVカラーアナライザー」発売、産業用計測機器分野に進出

1971

当社初の普通紙複写機「U-BIX480」発売

今日広く普及している、普通紙を使用する電子写真複写機(普通紙複写機、PPC)の開発を進め、ついに独自技術によるPPCを完成。1970年に開催されたビジネスショーに出展、翌1971年に「U-BIX(ユービックス)480」という商品名で発売して、生産が需要に追い付かないほどの好評を博しました。

1975

世界初のフラッシュ内蔵カメラ「コニカC35EF(ピッカリコニカ)」発売

誰でも簡単に撮れるカメラをとことん追求した結果生まれた、世界初のフラッシュ内蔵カメラ「コニカC35EF(愛称:ピッカリコニカ)」。「シャッターを押すだけでいつでも写真を撮りたい」そんな一般ユーザーの根源的なニーズを捉え、カメラ大衆化時代の到来を象徴する大ヒット商品となりました。

1976

業界初の24枚撮りフィルム「サクラカラー24」発売

1977

世界初の指先測定型パルスオキシメータ「OXIMET MET-1471」発売

パルスオキシメータとは、動脈血中に含まれる酸素の量(動脈血酸素飽和度 SpO2)を、採血することなく測定する装置です。体内への酸素の取り入れ状況をリアルタイムに検知するため、病院の手術室や集中治療室、呼吸器科の外来などで、幅広く使用されています。当社は1977年、世界で最初の指先測定型のパルスオキシメータ「OXIMET MET-1471」を発売。その後、小型化と高品質の追求を進め、40年以上を経て、新型コロナウイルス感染症患者の重症度の判断に有効なツールとしても大いに活用されました。

1977

世界初のオートフォーカスカメラ「コニカC35AF(ジャスピンコニカ)」発売

当時行った撮影済みフィルムの市場調査の結果、写真の失敗要因の36%がピンボケ(焦点が合っておらず不鮮明になる)であることが判明。その解消をめざした技術開発によって生まれたのが、世界初のオートフォーカスカメラ「コニカC35AF(愛称:ジャスピンコニカ)」です。シャッターを押すだけで自動的に焦点を合わせてくれるカメラの登場で、多くの人が鮮明な写真を撮影できるようになりました。

1960

複写機一号機「ミノルタコピーマスター」(湿式ジアゾ複写機)完成

カメラで培った技術を元に光学関連機器の開発に取り組み始めました。中でもとくに注力したのは複写機の開発です。1960年に第一号機として湿式ジアゾ複写機「ミノルタコピーマスター」を完成。その後も開発を進め、情報化社会の進展に伴って需要を伸ばしていきます。

1962

米国の宇宙船フレンドシップ7号の記録用カメラとして「ミノルタハイマチック」が搭載される

1950年代、米国のカメラショーに積極的に出展するなど業界に先駆けて海外へ打って出ていきました。当時、世界では超大国による宇宙開発競争が活発化していました。1958年に米航空宇宙局(NASA)が設立され、1961年に有人宇宙飛行に成功、1962年にはジョン・グレン飛行士が地球周回軌道を飛行し、宇宙から見た地球の撮影に成功します。その時使用したカメラが「ミノルタハイマチック」でした。この快挙は、世界における日本のカメラの評価を大きく変えました。その時のカメラは、米国ワシントンのスミソニアン博物館に永久所蔵品として展示されています。

1962

初の欧州拠点を設立

1966

初の量産型光学式プラネタリウム「MS-10」一号機を設置

1966

財団法人橘保善会(現 コニカミノルタ科学技術振興財団)設立

1968

テレビ色彩調整分析器「ミノルタTVカラーアナライザー」発売、産業用計測機器分野に進出

1969

史上初の有人月面着陸を果たしたアポロ11号に、露出計「ミノルタスペースメーター」搭載

1968年、米国の宇宙船アポロ8号に「ミノルタスペースメーター」が搭載されました。これは米航空宇宙局(NASA)から、当時当社が市販していた露出計「オートスポット1°」をアポロ計画向けに改良してほしいという依頼を受けて製造したものでした。この露出計は1969年に史上初の有人月面着陸を成し遂げたアポロ11号にも搭載され、世紀の宇宙開拓プロジェクトに貢献しました。

1971

当社初の普通紙複写機「U-BIX480」発売

今日広く普及している、普通紙を使用する電子写真複写機(普通紙複写機、PPC)の開発を進め、ついに独自技術によるPPCを完成。1970年に開催されたビジネスショーに出展、翌1971年に「U-BIX(ユービックス)480」という商品名で発売して、生産が需要に追い付かないほどの好評を博しました。

1973

運転免許証を作成する「さくらカラーIDシステム」全国で稼動

1975

世界初のフラッシュ内蔵カメラ「コニカC35EF(ピッカリコニカ)」発売

誰でも簡単に撮れるカメラをとことん追求した結果生まれた、世界初のフラッシュ内蔵カメラ「コニカC35EF(愛称:ピッカリコニカ)」。「シャッターを押すだけでいつでも写真を撮りたい」そんな一般ユーザーの根源的なニーズを捉え、カメラ大衆化時代の到来を象徴する大ヒット商品となりました。

1976

業界初の24枚撮りフィルム「サクラカラー24」発売

1977

世界初の指先測定型パルスオキシメータ「OXIMET MET-1471」発売

パルスオキシメータとは、動脈血中に含まれる酸素の量(動脈血酸素飽和度 SpO2)を、採血することなく測定する装置です。体内への酸素の取り入れ状況をリアルタイムに検知するため、病院の手術室や集中治療室、呼吸器科の外来などで、幅広く使用されています。当社は1977年、世界で最初の指先測定型のパルスオキシメータ「OXIMET MET-1471」を発売。その後、小型化と高品質の追求を進め、40年以上を経て、新型コロナウイルス感染症患者の重症度の判断に有効なツールとしても大いに活用されました。

1977

世界初のオートフォーカスカメラ「コニカC35AF(ジャスピンコニカ)」発売

当時行った撮影済みフィルムの市場調査の結果、写真の失敗要因の36%がピンボケ(焦点が合っておらず不鮮明になる)であることが判明。その解消をめざした技術開発によって生まれたのが、世界初のオートフォーカスカメラ「コニカC35AF(愛称:ジャスピンコニカ)」です。シャッターを押すだけで自動的に焦点を合わせてくれるカメラの登場で、多くの人が鮮明な写真を撮影できるようになりました。