初代監督の山田光良が陸上班を立ち上げた後、1970年の原嘉則の移籍入社を機に小西六陸上競技部として活動を開始。実業団に必要な人数が徐々に揃い、1972年には東日本実業団対抗選手権および東日本実業団対抗駅伝に初出場。1973年の東日本実業団対抗駅伝で6位に入り、同年の全日本実業団対抗駅伝への切符を手にした。
1970
-
1970年11月22日 第15回立川ロードレース
・ 一般10km 関 出場
-
1970年12月6日 第32回奥多摩渓谷駅伝
・ 一般の部 八王子陸協 4位
-
さくら山荘にて。
- 世の中では
- 日本万国博覧会(大阪万博)が開催
- よど号ハイジャック事件
1971
-
1971年1月10日 第17回多摩丘陵駅伝
・ 一般の部 4位
-
1971年9月26日 第21回青森~東京間駅伝大会代表最終選考会
・原 1位、高見 10位 ※東京都代表に決定
- コニカミノルタでは
- 高性能乾式電子複写機『U-Bix480』発売
- 世の中では
- マクドナルドの日本1号店が東京銀座に開店
- ボウリングブームが起こる
- 大相撲で横綱の大鵬幸喜が引退
1972
-
1972年1月1日 第8回八王子元旦ロードレース
・ 一般の部 高見 1位、渡辺 2位
-
1972年1月9日 第18回多摩丘陵駅伝
・ 一般の部 2位
-
1972年2月6日 第4回京都マラソン
・ 原 6位、高見 7位
-
1972年2月13日 第22回八王子全関東駅伝
・ 一般の部 1位
-
1972年八王子全関東駅伝優勝。賞品を受け取る原嘉則
-
1972年2月20日 第6回青梅マラソン
・30km 原 1位
-
1972年3月19日 第27回びわ湖毎日マラソン
・原 4位 ※ミュンヘン五輪選考レース。原嘉則は一時トップに立ち、テレビ中継にも映った
-
1972年5月7日 第35回東京陸上競技選手権
・5000m 原 2位
・10000m 原 3位、高見 5位 -
1972年5月13日 第14回東日本実業団対抗陸上選手権
・ジュニア1500m 藤井 8位
・ジュニア5000m 土屋 7位
・5000m 高見 8位
・10000m 高見 9位
・20000m 原 9位
※東日本実業団対抗選手権に初出場 -
1972年8月27日 第13回八王子市陸上競技選手権
・1500m 原 1位、藤井 3位、吉岡 4位、土屋 5位
・5000m 原 1位、土屋 2位、吉岡 3位、藤井 4位、奥山 6位 -
1972年9月18日 河口湖20Kロードレース
・一般 原 7位
-
1972年11月26日 第13回東日本実業団対抗駅伝
・小西六 13位
※初出場 -
1972年12月17日 第1回八王子短縮マラソン
・一般20km 原 1位、高見 2位
- 世の中では
- 札幌オリンピック開催
- あさま山荘事件
- 沖縄返還
1973
-
1973年1月1日 第9回八王子元旦ロードレース
・ 一般 高見 1位
-
1973年1月29日 第22回奥武蔵駅伝
・小西六Aチーム 5位
-
1973年2月5日 第5回京都マラソン
・ 高見 8位
-
1973年2月11日 第23回八王子全関東駅伝
・ 小西六Aチーム 3位
-
1973年2月19日 第7回青梅マラソン
・30km 高見 1位、原 3位
-
1973年4月30日 第36回東京陸上競技選手権
・10000m 高見 1位
・5000m 高見 4位、原 10位 -
1973年5月14日 第15回東日本実業団対抗陸上競技選手権
・ジュニア1500m 藤井 2位
・ジュニア5000m 藤井 4位、土屋 10位
・5000m 原 7位、高見 10位
・10000m 高見 6位、原 8位 -
1973年6月25日 第1回全日本実業団マラソン
・ジュニア20km 土屋 3位、藤井 6位
-
1973年8月20日 第14回八王子市陸上競技選手権
・1500m 藤井 2位、山口 5位、吉岡 7位
・5000m 高見 1位、藤井 2位、吉岡 3位
・高校の部1500m 榎戸 2位、金子 3位、加々美 7位 -
1973年9月17日 第21回全日本実業団対抗陸上競技選手権
・ジュニア1500m 藤井 10位
・ジュニア5000m 藤井 10位
・10000m 高見 6位 -
1973年11月23日 第14回東日本実業団対抗駅伝
・小西六 6位
※全日本への初切符を手にする -
1973年12月16日 第18回全日本実業団対抗駅伝
・小西六 23位
※初出場 -
初出場時の全日本駅伝パンフレット。 当時は伊勢神宮をスタートするコースで行われていた。
- コニカミノルタでは
- 運転免許証を作成する「さくらカラーIDシステム」全国で稼動
- 世の中では
- 巨人がV9を達成する。王貞治が三冠王を獲得する
1974
-
1974年1月27日 第23回奥武蔵駅伝
・ 小西六Aチーム 2位
-
1974年奥武蔵駅伝では、小西六Aチームが2位に。 写真はアンカーの原嘉則。
-
1974年2月3日 第6回京都マラソン
・ 高見 6位
-
1974年2月17日 第8回青梅マラソン
・ 30k 原1位、高見4位
-
1974年4月24日 第29回大津毎日マラソン(第58回日本陸上競技選手権マラソン)
・ 原 10位
-
1974年4月30日 第37回東京陸上競技選手権
・ 5000m 高見 2位、味沢 6位
・ 10000m 高見 2位 -
1974年5月18日 第16回東日本実業団対抗陸上競技選手権
・ ジュニア1500m 山口 4位、虎見 5位
・ ジュニア5000m 山口 5位
・ 5000m 味沢 1位
・ 10000m 高見 4位
・ 20000m 原 2位 -
1974年8月7日 第27回十和田八幡平全国駅伝
・ 小西六Aチーム 8位
※初出場 -
1974年10月5日 第22回全日本実業団対抗陸上競技選手権
・ 20000m 高見 2位
-
1974年10月20日 第15回八王子市陸上競技選手権
・ 5000m 高見 1位、藤井 2位、土屋 3位、原 4位、宮崎 5位
・ 高校の部 金子 1位 -
1974年11月17日 第15回東日本実業団対抗駅伝
・ 小西六 8位
-
1974年12月8日 第36回奥多摩渓谷駅伝
・ 小西六Aチーム 3位
- 世の中では
- 巨人の長嶋茂雄選手が引退。
5年連続で全日本実業団対抗駅伝への出場を果たし、陸上競技部としてのかたちが整ってきた時期。山田監督が前年までにスカウトした大卒の選手たちが活躍しだした。また1977年には選手寮が完成、会社から練習時間ももらえるようになったことで選手たちの競技に対する意識が変わり、強いチームへと進化を遂げていった。
1975
-
1975年1月12日 第25回八王子全関東駅伝
・ 小西六Aチーム 3位
-
1975年1月26日 第24回奥武蔵駅伝
・ 小西六 7位
-
1975年2月23日 第10回群馬マラソン
・ 味沢 3位
-
1975年5月17日 第17回東日本実業団対抗陸上競技選手権
・ ジュニア1500m宇津木(天)8位
・ ジュニア5000m須藤5位
・ 1500m藤井8位
・ 5000m味沢9位
・ 10000m味沢5位
・ 20000m原4位、高見8位 -
1975年6月29日 第10回全国高校通信制定時陸上競技大会東京都選手選考会
・ 1500m 金子 2位
・ 5000m 金子 1位 -
1975年11月16日 第16回東日本実業団対抗駅伝
・ 小西六 4位
-
1975年12月7日 第37回奥多摩渓谷駅伝
・ 小西六Aチーム 4位、 Bチーム 9位
-
1975年12月21日 第20回全日本実業団対抗駅伝
・ 小西六 13位
-
1978年10月八王子記録会の模様。
- コニカミノルタでは
- 世界初の連動ストロボ内蔵35mmカメラ『コニカC35EF(ピッカリコニカ)』発売
- 世の中では
- 3億円事件が時効成立する
1976
-
1976年1月12日 第26回八王子全関東駅伝
・ 小西六 5位
-
1976年1月25日 第25回奥武蔵駅伝
・ 小西六 3位
-
1976年5月17日 第18回東日本実業団対抗陸上競技選手権
・ ジュニア1500m 宇津木(天) 3位、入江田 7位
・ ジュニア5000m 宇津木(天) 4位
・ 10000m 味沢 7位
・ 20000m 高見 2位、味沢 4位 -
1976年6月27日 第4回全日本実業団ロードレース
・ ジュニア10マイル 宇津木(天) 3位
-
1976年11月14日 第17回東日本実業団対抗駅伝
・ 小西六 4位
-
1976年12月19日 第21回全日本実業団対抗駅伝
・ 小西六 10位
※初のトップテン入り
1977
-
1977年2月20日 第11回青梅マラソン
・ 30km 味沢 1位、入江田 8位
-
1977年青梅マラソンでは味沢善朗(ゼッケン10)が優勝を果たす。
-
1977年4月 原 嘉則 監督就任
-
1977年5月6日 第40回東京陸上競技選手権
・5000m 入江田 5位、宇津木(天) 7位、宮崎 8位
・10000m 高見 5位 -
1977年8月7日 第30回十和田八幡平駅伝
・小西六 6位
-
1977年11月10日 第3回東日本実業団ロードレース
・ジュニア10km 今釘 3位、
・16km 須藤 3位 -
1977年11月11日 第39回奥多摩渓谷駅伝
・小西六Aチーム 2位、Bチーム 6位
-
1977年11月13日 第18回東日本実業団対抗駅伝
・小西六 3位
※東日本実業団対抗駅伝大会で初の表彰台 -
1977年12月18日 第22回全日本実業団対抗駅伝
・小西六 10位
-
1977年12月26日 第8回防府読売マラソン
・橋口 4位
- コニカミノルタでは
- 世界初の指先測定型パルスオキシメータ『OXIMET MET-1471』発売
- 世界初の自動焦点カメラ『コニカC35AF(ジャスピンコニカ)』発売
- 世の中では
- 日本初の静止気象衛星「ひまわり1号」打ち上げ
1978
-
1978年1月17日 第28回八王子全関東駅伝
・ 小西六Aチーム 1位、Bチーム 6位
-
1978年2月11日 第26回読売勝田マラソン
・ 高見 4位
-
1978年2月19日 第12回青梅マラソン
・ 30km 高見 5位
-
1978年5月5日 第41回東京陸上競技選手権
・ 10000m 高見 5位
-
1978年5月22日 第20回東日本実業団対抗陸上競技選手権
・ ジュニア1500m 斎藤 5位、酒井 7位
・ ジュニア5000m 斎藤 1位、酒井 5位
・ 1500m 今釘 3位、宇津木(天) 4位
・ 5000m 宇津木(天) 7位、
・ 20000m 高見 2位、味沢 4位 -
1978年6月11日 第21回タイムス30kmロードレース
・ 橋口 7位
-
1978年8月7日 第31回十和田八幡平駅伝
・ 小西六 3位
-
1978年10月2日 第26回全日本実業団対抗陸上競技選手権
・ ジュニア1500m 斉藤 3位
・ ジュニア5000m 斉藤 8位
・ 20000m 高見 3位 -
1978年11月15日 第19回東日本実業団対抗駅伝
・ 小西六 2位
-
1978年11月27日 第4回東日本実業団ロードレース
・ ジュニア10km 斉藤 1位、酒井 3位、松山 4位
・ 一般10マイル 橋口 5位 -
1978年12月1日 第40回奥多摩駅伝
・ 小西六Aチーム 優勝、Bチーム 6位
-
1978年12月19日 第23回全日本実業団対抗駅伝
・ 小西六 5位
※初の入賞
- 世の中では
- 日中平和友好条約調印
1979
-
1979年1月29日 第28回奥武蔵駅伝
・ 小西六 2位
-
1979年2月19日 第13回青梅マラソン
・ 30km 高見 2位、 橋口 9位
-
1979年3月18日 第1回全日本伊豆大島駅伝
・ 小西六 1位
-
1979年5月4日 第42回東京陸上競技選手権
・ 5000m 斉藤 6位
・ 10000m 高見 2位、味沢 4位 -
1979年5月14日 第21回東日本実業団対抗陸上競技選手権
・ ジュニア5000m 斉藤 1位、酒井 7位
・ 5000m 今釘 3位
・ 10000m 今釘 2位
・ 20000m 高見 2位、橋口 4位 -
1979年6月12日 第22回札幌タイムス30kmロードレース
・ 高見 2位、今釘 5位、橋口 10位
-
1979年8月9日 第32回十和田八幡平駅伝
・ 小西六 3位
-
1979年11月11日 第20回東日本実業団駅伝
・ 小西六 2位
-
1979年12月16日 第24回全日本実業団対抗駅伝
・ 小西六 4位
※小西六として最高順位 -
1979年全日本駅伝で力走する今釘長敏。この年、当時最高順位となる4位でゴール。
-
1977年3月、強化合宿(小田原市城山陸上競技場)。
- 世の中では
- 東京サミット開催
1980年の奥武蔵駅伝では当時の大会新記録を樹立、1981年の全日本実業団対抗駅伝で酒井勝充が創部以来初めてとなる区間賞を獲得するなど、着実に力をつけていった。しかし、東日本、全日本いずれの駅伝でも優勝にはまだ手が届かず、苦しい時期でもあった。
1980
-
1980年1月14日 第30回八王子全関東駅伝
・ 小西六A 1位、小西六B 4位
-
1980年1月29日 第29回奥武蔵駅伝
・ 小西六 1位
※大会新(当時) -
1980年2月4日 第29回別府大分毎日マラソン
・ マラソン 今釘 7位
・ ハーフ 酒井 4位、斉藤 7位 -
1980年別府大分マラソンで新人賞を獲得した今釘長敏。
-
1980年2月17日 第14回青梅マラソン
・ 30km 橋口 8位
-
1980年3月24日 第23回信毎マラソン
・ 金子 6位
-
1980年6月9日 第8回全日本実業団ロードレース
・ 30km 高見 10位
-
1980年6月17日 第23回タイムス30kmロードレース
・ 今釘 2位、酒井 8位、橋口 9位
-
1980年9月29日 第28回全日本実業団対抗陸上競技選手権
・ 5000m 今釘 8位
・ 20000m 高見 10位 -
1980年11月9日 第21回東日本実業団対抗駅伝
・ 小西六 2位
-
1980年12月8日 第42回奥多摩渓谷駅伝
・ 小西六 3位
-
1980年12月21日 第25回全日本実業団対抗駅伝
・ 小西六 7位
- コニカミノルタでは
- 『ミノルタX-7』テレビCM放映で大反響
- 世の中では
- モスクワオリンピック開催
1981
-
1981年1月17日 第32回朝日駅伝
・ 小西六 6位
-
1981年2月15日 第15回青梅マラソン
・ 30km 橋口 8位
-
1981年5月18日 第23回東日本実業団対抗陸上競技選手権
・1500m 松山 5位
・5000m 今釘 3位、斉藤 5位
・10000m 今釘 4位
・3000mSC 斉藤 3位
・ジュニア1500m 佐藤 4位
・ジュニア5000m 大木場 8位 -
1981年11月15日 第22回東日本実業団対抗駅伝
・小西六 2位
-
1981年12月20日 第26回全日本実業団対抗駅伝
・小西六 6位
-
1981年全日本駅伝。第1区の酒井勝充はチーム初の区間賞を獲得。
- 世の中では
- スペースシャトル コロンビアが初のスペースシャトルミッションで打ち上げ
1982
-
1982年2月21日 第16回青梅マラソン
・ 30km 橋口 10位
-
1982年5月15日 第24回東日本実業団対抗陸上競技選手権
・5000m 大木場 7位
・10000m 酒井 7位
・20000m 橋口 2位
・ジュニア1500m 佐藤 2位
・ジュニア5000m 米山 4位、小川 7位 -
1982年5月30日 第10回全日本実業団ロードレース
・ジュニア16km 佐藤 5位、小川 9位
-
1982年11月23日 第23回東日本実業団対抗駅伝
・小西六 3位
-
1982年12月19日 第27回全日本実業団対抗駅伝
・小西六 15位
- 世の中では
- FIFAワールドカップ・スペイン大会開催
1983
-
1983年1月11日 第33回八王子全関東駅伝
・小西六A 1位、小西六B 5位
-
1983年2月27日 第26回信毎マラソン
・橋口 6位
-
1983年4月 味沢 善朗氏 監督就任
-
1983年4月30日、 5月1日 第46回東京陸上競技選手権
・ 1500m 米山 4位、佐藤 5位
・ 5000m 酒井 3位、大木場 8位
・ 10000m 酒井 2位、橋口 6位 -
1983年5月14、15日 第25回東日本実業団対抗陸上競技選手権
・ 1500m 米山 6位
・ 5000m 今釘 5位
・ 10000m 今釘 5位
・ ジュニア1500m 山片 6位 -
1983年5月30日 第11回全日本実業団ロードレース
・ジュニア10マイル 円谷 3位
-
1983年6月19日 第26回タイムス30kmロードレース
・今釘 3位、酒井 5位
-
1983年11月20日 第24回東日本実業団対抗駅伝
・小西六 4位
-
1983年12月18日 第28回全日本実業団対抗駅伝
・小西六 7位
-
1983年全日本駅伝。第2区の大木場省一は区間賞を獲得した。
- コニカミノルタでは
- 世界初、倍率が無段階に選べるズーム複写機『EP450Z』発売
- 世の中では
- インターネットが誕生する
- 任天堂から家庭用ゲーム機ファミリーコンピュータ(ファミコン)が発売
- 大韓航空機撃墜事件
1984
-
1984年1月8日 南日本20kmロードレース
・ 今釘 4位、酒井 5位、松山 6位
-
1984年2月5日 第33回別府大分毎日マラソン
・ ハーフ 円谷 4位
-
1984年2月19日 第18回青梅マラソン
・ 30km 松山 6位
-
1984年4月22日 静岡リレーカーニバル
・ 5000m 酒井 7位
-
1984年4月28日、29日 第47回東京陸上競技選手権
・ 5000m 酒井 4位、米山 7位
・ 10000m 酒井 4位 -
1984年5月12、13日 第26回東日本実業団対抗陸上競技選手権
・ 10000m 酒井 3位
・ ジュニア1500m 山片 8位
・ ジュニア5000m 山片 7位 -
1984年東日本実業団陸上20000mにてエスビー食品陸上部の瀬古利彦と競り合う佐藤敏信。
-
1984年8月7日 十和田八幡平駅伝
・ 小西六 9位
-
1984年11月18日 第25回東日本実業団対抗駅伝
・ 小西六 7位
-
1984年12月23日 第15回防府読売マラソン
・ 佐藤 7位
- コニカミノルタでは
- CD用超高精度非球面プラスチックレンズを開発。CDの世界普及に貢献
- 世の中では
- Macintoshが発売される
- ロサンゼルスオリンピック開催
駅伝に力を入れつつ、1987年に井上浩司がサロマ湖100kmウルトラマラソンで日本新記録を樹立するなど、各地のレースにも積極的に参加し結果を出していた時期。この頃はまだオリンピックは視野に入れておらず、全日本実業団対抗駅伝への出場、優勝を目指して活動を続けていた。1987年10月21日には社名がコニカ株式会社に改称。
-
1984年東日本駅伝第1区を力走する円谷力雄。
1985
-
1985年2月3日 第34回別府大分毎日マラソン
・ ハーフ 円谷 4位
-
1985年2月17日 第19回青梅マラソン
・ 30km 今釘 6位
-
1985年3月3日 名古屋中日30km
・ 酒井 5位
-
1985年5月11日 第27回東日本実業団対抗陸上競技選手権
・ 20000m 円谷 7位
・ ジュニア5000m 丸山 7位 -
1985年6月9日 第13回全日本実業団ロードレース
・ 30km 松山 10位
-
1985年11月17日 第26回東日本実業団対抗駅伝
・ 小西六 6位
-
1985年12月15日 第30回全日本実業団対抗駅伝
・ 小西六 14位
-
1985年12月22日 第16回防府読売マラソン
・ 井上 8位
- コニカミノルタでは
- 本格的なオートフォーカス機能を備えた一眼レフカメラ『α-7000』発売
- 世の中では
- 国際科学技術博覧会(つくば万博)開催
- 日本航空123便墜落事故
- マイクロソフトからOSソフト「Windows」が初めて発売される
1986
-
1986年2月16日 第20回青梅マラソン
・ 30km 佐藤 6位
-
1986年6月22日 タイムス30kmロードレース
・ 酒井 10位
-
1986年10月25日 第34回全日本実業団対抗選手権
・20000m 酒井 2位
-
1986年11月16日 第27回東日本実業団対抗駅伝
・ 小西六 8位
-
1986年12月21日 第31回全日本実業団対抗駅伝
・ 小西六 19位
- 世の中では
- ハレー彗星大接近
- スペースシャトル、チャレンジャー号爆発事故
- チェルノブイリ原子力発電所事故発生
- FIFAワールドカップ・メキシコ大会開催
1987
-
1987年2月22日 台北マラソン(台湾)
・ 佐藤 2位
-
1987年5月2日 第50回東京陸上競技選手権
・1500m 丸山 3位
・10000m 酒井 1位、円谷 2位、佐藤 6位 -
1987年5月16日 第29回東日本実業団対抗陸上競技選手権
・ ジュニア1500m 平田 5位
-
1987年6月21日 タイムスハーフマラソン
・ハーフマラソン 酒井 8位
-
1987年7月5日 サロマ湖100kmウルトラマラソン
・井上 1位
※日本最高記録(当時) -
1987年11月15日 第28回東日本実業団対抗駅伝競走
・コニカ 7位
-
1987年東日本駅伝第6区を力走する松山三政。
- コニカミノルタでは
- 小西六写真工業株式会社から「コニカ株式会社」に社名変更
- 簡易色校正システム『Konsensus』発売
- 世の中では
- 世界の人口が50億人突破
- 10月19日 - ブラックマンデー。世界の株式市場大暴落
- 大韓航空機爆破事件
1988
-
1988年1月1日 第32回全日本実業団対抗駅伝
・ コニカ 15位
-
1988年3月6日 名古屋30kmロードレース
・ 30km 酒井 3位、松山 7位
-
1988年5月1日 バンクーバーマラソン(カナダ)
・ 松山 1位
-
1988年5月21、22日 第30回東日本実業団対抗陸上競技選手権
・ ジュニア1500m 平田 3位
・ ジュニア5000m 平田 2位 -
1988年6月5日 第16回全日本実業団ロードレース
・ 30km 佐藤 3位
・ ジュニア10マイル 平田 2位 -
1988年6月26日 タイムスハーフマラソン
・ 酒井 5位
-
1988年11月20日 第29回東日本実業団対抗駅伝
・ コニカ 9位
- 世の中では
- カルガリーオリンピック開催
- ソウルオリンピック開催
1989
-
1989年1月1日 第33回全日本実業団対抗駅伝
・ コニカ 14位
-
1989年2月5日 第38回別府大分毎日マラソン
・ マラソン 佐藤 8位
・ ハーフ 丸山 3位 -
1989年2月19日 第23回青梅マラソン
・ 30km 酒井 6位、米山 10位
-
1989年5月27日 第31回東日本実業団対抗陸上競技選手権
・ ジュニア1500m 渋谷 2位
-
1989年11月19日 第30回東日本実業団対抗駅伝
・ コニカ 6位
-
1989年夏の車山高原合宿。
-
1988年、当時の選手の集合写真。
-
1989年1月、八王子駅伝後の集合写真。
-
1989年網走合宿にて、Honda陸上競技部の選手と合同で42.195km走に挑む佐藤敏信(中央左)と井上浩司(中央右)。
- コニカミノルタでは
- 医療用画像出力システム 『レーザーイメージャーLi-10』発売
- 世の中では
- 昭和天皇が崩御、元号が昭和から平成へ
- 六四天安門事件
1990年に入ると、ケニアよりウィリアム・コスゲイ、アベル・ギセンバ、コスマス・デティの3選手が初の外国人選手として入部。即戦力としての活躍が期待された。1992年には酒井勝充が監督に就任。全日本実業団対抗駅伝でコンスタントに15位以内に入れるようにゼロからのチームづくりをはじめた。そんな中、後にオリンピックでメダリストとなるエリック・ワイナイナが1993年に入部。
1990
-
1990年1月1日 第34回全日本実業団対抗駅伝
・ コニカ 13位
-
1990年2月11日 第38回勝田マラソン
・ 米山 1位、上田 9位
-
1990年3月5日 第33回信毎マラソン
・ 小椋 5位、上田 9位
-
1990年5月19、20日 第32回東日本実業団対抗陸上競技選手権
・ 5000m 平田 4位
・ 10000m 平田 5位
・ ジュニア1500m 竹下 1位、渋谷、 3位、松尾 4位
・ ジュニア5000m 松尾 4位、渋谷 5位 -
1990年11月18日 第31回東日本実業団対抗駅伝
・ コニカ 7位
-
1990年東日本駅伝、レース応援者との集合写真。
- コニカミノルタでは
- モノクロレーザープリンター『SP101』発売、LBP分野に本格参入
- デジタルフルカラー複写機『CF70』発売
- 世の中では
- 東西ドイツが統一(ドイツ再統一)
1991
-
1991年1月1日 第35回全日本実業団対抗駅伝
・ コニカ 12位
-
1991年3月31日 第19回全日本実業団ハーフマラソン
・ デティ 2位
-
1991年4月29日 第39回兵庫リレーカーニバル
・5000m 平田 8位
-
1991年5月12日 水戸国際陸上
・ 3000msc コスゲイ 1位
-
1991年5月25日 第33回東日本実業団対抗陸上競技選手権
・ 10000m 平田 4位
-
1991年7月7日 札幌国際ハーフマラソン
・佐藤 4位
-
1991年9月5日 第39回全日本実業団対抗陸上競技選手権
・10000m デティ 3位
-
1991年11月17日 第32回東日本実業団対抗駅伝
・コニカ 8位
-
1990年ロンドンマラソンで力走する佐藤敏信。
- 世の中では
- 湾岸戦争が勃発
- ソビエト連邦の崩壊。「ロシア連邦」に
1992
-
1992年1月1日 第36回全日本実業団対抗駅伝
・ コニカ 14位
-
1992年2月16日 第26回青梅マラソン
・ 30km 本田 6位
-
1992年3月29日 第35回信毎マラソン
・ 佐藤 1位
-
1992年4月 酒井勝充監督就任
-
1992年4月26日 第54回東京陸上競技選手権
・ 10000m 野村 3位
-
1992年5月3日 バンクーバーマラソン(カナダ)
・ 小椋 2位
-
1992年5月22日~24日 第34回東日本実業団対抗陸上競技選手権
・ 1500m平田 8位
・ 5000m 野村 7位
・ 10000m 野村 8位 -
1992年7月5日 第35回札幌国際ハーフマラソン
・ 平田 6位
-
1992年10月11日 北京国際マラソン(中国)
・ 佐藤 3位
-
1992年10月17日 第40回全日本実業団対抗陸上競技選手権
・ ジュニア5000m 金沢 4位
-
1992年11月15日 第33回東日本実業団対抗駅伝
・ コニカ 9位
- 世の中では
- アルベールビルオリンピック開催
- バルセロナオリンピック開催
1993
-
1993年1月1日 第37回全日本実業団対抗駅伝
・ コニカ 17位
-
1993年春季強化合宿(千葉県白子町)。
-
1993年2月7日 第42回別府大分毎日マラソン
・ 野村 9位
-
1993年2月21日 第27回青梅マラソン
・ 30km 平田 6位
-
1993年2月21日 千葉国際クロカン
・ 中川西 1位
-
1993年3月7日 名古屋30kmロードレース
・ 佐藤 7位
-
1993年5月9日 ミュンヘンマラソン(ドイツ)
・ 平田 3位
-
1993年5月22、23日 第35回東日本実業団対抗陸上競技選手権
・ 5000m 高野 7位
・ ジュニア1500m 中川西 5位、大下 7位
・ ジュニア5000m 藤村 4位 -
1993年6月27日 全日本ジュニア選抜陸上競技選手権
・ 5000m 金沢 2位
-
1993年7月18日 第36回札幌国際ハーフマラソン
・ ワイナイナ 2位
-
1993年9月26日 第3回函館ハーフマラソン
・ ワイナイナ 1位
-
1993年10月2日、 3日 第41回全日本実業団対抗陸上競技選手権
・ ジュニア1500m 金沢 2位、中川西 3位
・ ジュニア5000m 金沢 1位、中川西 5位 -
1993年11月14日 第34回東日本実業団対抗駅伝
・ コニカ 5位
-
1993年東日本駅伝にて、第2区金沢孝一から第3区中川西浩一への中継。
- 世の中では
- ヨーロッパで欧州連合(EU)が発足
1994
-
1994年1月1日 第38回全日本実業団対抗駅伝
・ コニカ 12位
-
1994年2月6日 第43回別府大分毎日マラソン
・ ハーフ ワイナイナ 4位
-
1994年5月21,22日 第36回東日本実業団対抗陸上競技選手権
・ジュニア1500m 大下 2位
・ジュニア5000m 藤村 3位、森崎 4位 -
1994年7月17日 第37回札幌国際ハーフマラソン
・ ワイナイナ 6位
-
1994年8月28日 第8回北海道マラソン
・ワイナイナ 1位
-
1994年9月25日 第4回函館ハーフマラソン
・ワイナイナ 1位
-
1994年11月13日 第35回東日本実業団対抗駅伝
・コニカ 10位
- コニカミノルタでは
- ミノルタカメラ株式会社から「ミノルタ株式会社」に社名変更
- 世の中では
- リレハンメルオリンピック開催
- 英仏海峡トンネル開通
1994年から1996年にかけて大卒で実力のある川崎光年、宮田修一、宮本善史、磯松大輔が入部。1995年はエリック・ワイナイナが東京国際マラソンで1位、宮本がコニカ陸上競技部として初めて世界大会に参加と、個人競技での活躍が目立った。1996年にはワイナイナがアトランタ五輪のマラソンで銅メダルを獲得。コニカ陸上競技部として初めてのオリンピックメダリストが誕生した。
1995
-
1995年1月1日 第39回全日本実業団対抗駅伝
・ コニカ 18位
-
1995年2月12日 第16回東京国際マラソン
・ワイナイナ 1位
-
1995年東京国際マラソンで優勝したエリック・ワイナイナ。
-
1995年3月26日 ディズニーマラソン(アメリカ)
・佐藤 2位
※ロサンゼルスマラソンの前身大会 -
1995年5月20日、21日 第37回東日本実業団対抗陸上競技選手権
・ ジュニア1500m 住谷 4位
・ ジュニア5000m 森崎 7位 -
1995年7月16日 第38回札幌国際ハーフマラソン
・宮本 8位
-
1995年9月24日 アムステルダムマラソン(オランダ)
・平田 3位
-
1995年10月1日 世界ハーフ(フランス)
・宮本 9位
※日本代表。初の世界選手権参加 -
1995年11月12日 第36回東日本実業団対抗駅伝
・ コニカ 7位
- 世の中では
- WTO発足
- Windows 95発売
1996
-
1996年1月1日 第40回全日本実業団対抗駅伝
・ コニカ 23位
-
1996年3月3日 第51回びわ湖毎日マラソン
・ワイナイナ 2位
-
1996年5月18、19日 第38回東日本実業団対抗陸上競技選手権
・5000m 磯松 2位
・ジュニア1500m 迎 3位
・ジュニア5000m 迎 2位 -
1996年8月4日 アトランタ五輪(アメリカ)
・ マラソン ワイナイナ 3位
-
1996年アトランタ五輪男子マラソン。エリック・ワイナイナがトップ争いの末銅メダルに。(写真提供:フォート・キシモト)
-
1996年9月16日 スーパー国際陸上
・5000m 磯松 7位
-
1996年10月4日 第44回全日本実業団対抗陸上競技選手権
・ジュニア1500m 迎 6位
-
1996年11月10日 第37回東日本実業団対抗駅伝
・コニカ 4位
- 世の中では
- アトランタオリンピック開催
1997
-
1997年1月1日 第41回全日本実業団対抗駅伝競走
・ コニカ 8位
-
1997年5月17日、18日 第39回東日本実業団対抗陸上競技選手権
・ジュニア15000m 石森 7位
・ジュニア5000m 石森 10位 -
1997年7月20日 第40回札幌国際ハーフマラソン
・宮本 3位
-
1997年8月31日 第11回北海道マラソン
・ ワイナイナ 1位
-
1997年9月28日 第7回函館ハーフマラソン
・ ワイナイナ 1位
-
1997年11月16日 第38回東日本実業団対抗駅伝
・ コニカ 6位
-
1997年東日本駅伝アンカー磯松大輔。
-
1997年網走合宿の様子。アップダウンの多い難コースは、ワイナイナのオリンピックメダル獲得にちなんで「オリンピアンロード」と呼ばれた。
- 世の中では
- ダイアナ元皇太子妃、パリで交通事故死
- マザー・テレサ死去
1998
-
1998年1月1日 第42回全日本実業団対抗駅伝
・ コニカ 7位
-
1998年2月15日 第32回青梅マラソン
・30km 小澤 8位
-
1998年3月29日 第41回信毎マラソン
・ 宮本 1位
-
1998年5月16日、17日 第40回東日本実業団対抗陸上競技選手権
・ ジュニア1500m 石森 5位
・ ジュニア5000m 石森 5位
・ 10000m 宮本 5位
・ 20000m 森崎 5位 -
1998年6月28日 第41回札幌国際ハーフマラソン
・ワイナイナ 1位
-
1998年11月15日 第39回東日本実業団対抗駅伝
・コニカ 3位
-
1998年、強化合宿に取り組む入社1年目の松宮兄弟。3番手を走る祐行と、5番手の隆行(長野県菅平高原)。
- 世の中では
- FIFAワールドカップフランス大会開催
- 長野オリンピック開催
- Windows 98が発売
1999
-
1999年1月1日 第43回全日本実業団対抗駅伝
・コニカ 21位
-
1999年2月21日 第33回青梅マラソン
・30km 松宮(隆) 9位
-
1999年9月26日 第9回函館ハーフマラソン
・宮本 1位
-
1999年10月2日 日本陸上競技選手権
・10000m 磯松 19位、迎 28位
-
1999年11月14日 第40回東日本実業団対抗駅伝
・コニカ 2位
-
1999年に科学的トレーニングを導入。選手の血液データを採取している佐藤敏信ヘッドコーチ。
-
1999年夏の強化合宿。牧場にクロカンコースを作り、脚力強化に取り組む選手たち(北海道八雲町)。
- 世の中では
- ヨーロッパ単一通貨ユーロ登場
- 2000年問題騒動
2000年のシドニー五輪でエリック・ワイナイナが銀メダルに輝き、2大会連続でメダリストに。2003年には松宮隆行が熊日ロードレースで世界新記録を樹立。またチームは2000年の東日本実業団駅伝、2001年の全日本実業団駅伝で悲願の初優勝を達成。全日本ではその後2003年までの3連覇を成し遂げた。2003年8月には経営統合しコニカミノルタに。
2000
-
2000年1月1日 第44回全日本実業団対抗駅伝
・ コニカ 4位
-
2000年2月20日 第34回青梅マラソン
・30km 松宮(隆) 1位、酒井 2位、松宮(祐) 3位
-
2000年3月12日 第28回全日本実業団ハーフマラソン
・宮本 4位
-
2000年5月3日 第16回静岡国際陸上
・ 5000m ガソ 1位
-
2000年7月2日 第43回札幌国際ハーフマラソン
・ワイナイナ 3位
-
2000年9月9日 スーパー陸上
・5000m ガソ 2位
-
2000年10月1日 シドニー五輪(オーストラリア)
・ マラソン ワイナイナ 2位
-
2000年シドニー五輪で銀メダルに輝いたエリック・ワイナイナ。(写真提供:フォートキシモト)
-
2000年10月7日、8日 日本陸上競技選手権
・ 10000m ガソ 1位、
・ 5000m ガソ 1位
-
2000年11月12日 第41回東日本実業団対抗駅伝
・ コニカ 1位
※初優勝 -
2000年東日本駅伝で初優勝。アンカーの坪田智夫。
- コニカミノルタでは
- 液晶偏光板用TACフィルム事業本格展開開始
- 「重合法トナー」の製造・販売を行う合弁会社、「株式会社コニカミノルタサプライズ」発足
- 世の中では
- シドニーオリンピック開催。高橋尚子が女子マラソンで初の金メダルを獲得する
2001
-
2001年1月1日 第45回全日本実業団対抗駅伝
・ コニカ 1位
※初優勝 -
2001年全日本駅伝で初優勝のゴールテープを切る坪田智夫(写真提供:フォートキシモト)
-
2001年2月18日 第35回青梅マラソン
・30km 酒井 4位、宮本 5位
-
2001年4月22日 第49回兵庫リレーカーニバル
・10000m ガソ 1位
-
2001年5月11日 大阪グランプリ
・ 5000m ガソ 1位
-
2001年5月19日、20日 第43回東日本実業団対抗
・ ジュニア1500m 園 2位
・ ジュニア5000m 園 3位
・ 5000m 酒井 8位 -
2001年6月9日 日本選手権
・ 10000m 松宮(隆)19位、酒井 20位、松宮(祐)23位
-
2001年9月15日 スーパー陸上
・ 5000m ガソ 2位
-
2001年9月29日、30日
第49回全日本実業団対抗陸上競技選手権・ 5000m ガソ 1位
-
2001年10月28日 フランクフルトマラソン(ドイツ)
・ 宮本 4位、酒井 6位
-
2001年11月11日 第42回東日本実業団対抗駅伝
・ コニカ 1位
-
2001年強化合宿で集団をリードしている若手(千葉県富津市)。
- 世の中では
- アメリカ同時多発テロ事件発生
2002
-
2002年1月1日 第46回全日本実業団対抗駅伝
・ コニカ 1位
-
2002年全日本駅伝でゴールテープを切る酒井俊幸。
-
2002年2月10日 第23回東京国際マラソン
・ワイナイナ 1位
-
2002年4月28日 第50回兵庫リレーカーニバル
・10000m ガソ 1位
-
2002年5月11日 大阪グランプリ
・ 5000m ガソ 1位
-
2002年6月8日、9日 日本陸上競技選手権
・10000m 坪田 1位
-
坪田智夫は2002年日本選手権10000mで優勝。
-
坪田智夫優勝の時の電光掲示板。
-
2002年9月16日 スーパー陸上
・5000m ガソ 1位
-
2002年9月28日、29日 第50回全日本実業団対抗陸上競技選手権
・ジュニア5000m 鍋城 6位
・5000m ガソ 1位 -
2002年11月10日 第43回東日本実業団対抗駅伝
・コニカ 2位
-
2002年12月1日 第56回福岡国際マラソン
・ワイナイナ 3位
- 世の中では
- EU域内12カ国、通貨をユーロに統合
- ソルトレイクシティオリンピック開催
- FIFAワールドカップ・日韓大会が開催
2003
-
2003年1月1日 第47回全日本実業団対抗駅伝
・ コニカ 1位
-
2003年全日本駅伝で3連覇を表す3本指を掲げながらゴールする酒井俊幸。
-
2003年2月16日 第47回金栗記念熊日30キロロードレース
・松宮(隆) 1位、前田 2位
※松宮隆行が世界記録(当時)を塗り替える -
2003年2月23日 第41回延岡西日本マラソン
・迎 2位
-
2003年3月2日 第16回福岡国際クロスカントリー
・ 坪田 5位
-
2003年4月12日 金栗記念選抜陸上中・長距離熊本
・松宮(隆) 4位
-
2003年4月20日 第5回長野オリンピック記念長野マラソン
・ ワイナイナ 1位、小澤 4位
-
2003年4月20日 第51回兵庫リレーカーニバル
・ 松宮(隆) 3位
-
2003年6月7日 日本陸上競技選手権
・ 10000m 松宮(隆)3位、坪田 4位、磯松 12位
-
2003年8月24日 世界陸上2003パリ(フランス)
・ 10000m 坪田 18位
-
2003 年パリ世界陸上で10000mを走る坪田智夫。(写真提供:フォートキシモト)
-
2003年8月31日 2003北海道マラソン
・ ワイナイナ 1位
-
2003年9月28日 第51回全日本実業団対抗陸上競技選手権
・5000m 松宮(隆) 6位
-
2003年11月16日 第44回東日本実業団対抗駅伝
・コニカミノルタ 1位
- コニカミノルタでは
- コニカ株式会社とミノルタ株式会社が経営統合
- 持株会社「コニカミノルタホールディングス株式会社」発足
- 世の中では
- SARSがアジアを中心に世界的に大流行
2004
-
2004年1月1日 第48回全日本実業団対抗駅伝
・コニカミノルタ 2位
-
2004年全日本駅伝で第5区を力走する松宮祐行。
-
2004年2月1日 第58回香川丸亀国際ハーフマラソン
・松宮(祐) 2位、迎 8位
-
2004年2月8日 2004東京国際マラソン
・ワイナイナ 8位
-
2004年2月15日 第38回青梅マラソン
・30km 米田 2位、小澤 3位
-
2004年2月15日 第48回金栗記念熊日30キロロードレース
・太田 3位、前田 5位
-
2004年2月22日 第42回延岡西日本マラソン
・高橋 3位
-
2004年2月29日 福岡国際クロスカントリー
・ムツリ 4位、坪田 5位
-
2004年3月7日 第59回びわ湖毎日マラソン
・松宮(祐) 6位、迎 9位
-
2004年3月14日 第32回全日本実業団山口ハーフマラソン
・個人成績:太田 2位、前田 5位
・団体賞:コニカミノルタ 1位 -
2004年4月10日 金栗記念選抜陸上中・長距離熊本
・ 5000m 松宮(隆)
-
2004年4月25日 第52回兵庫リレーカーニバル
・ 10000m ムツリ 7位
-
2004年5月3日 第20回静岡国際陸上
・10000m ムツリ 2位、太田 6位
-
2004年5月15日、16日 第46回東日本実業団陸上競技選手権
・5000m ムツリ 2位
・10000m 小澤7位、磯松 8位 -
2004年6月5日 日本陸上競技選手権
・10000m 坪田 5位
-
2004年8月29日 アテネ五輪(ギリシャ)
・マラソン ワイナイナ 7位
-
2004年9月25日 第52回全日本実業団対抗陸上競技選手権
・10000m 松宮(隆) 6位
-
2004年9月26日 第14回函館ハーフマラソン
・磯松 2位、高橋 3位、迎 4位
-
2004年11月14日 第45回東日本実業団対抗駅伝
・コニカミノルタ 1位
-
2004年12月5日 第58回福岡国際マラソン
・ 迎 5位
- コニカミノルタでは
- 情報機器の新商品ブランド「bizhub」(ビズハブ)を発表
- 直営プラネタリウム館「サンシャインスターライトドーム“満天”」オープン
- 次世代インクジェットテキスタイルプリンター『ナッセンジャー V』発売
- 世の中では
- アテネオリンピック開催
この5年間は全日本実業団対抗駅伝で3度優勝を果たすなど、強豪チームとしての地位を不動のものに。個人として松宮隆行の大活躍が目立ち、2005年2月の熊日30キロロードレースでは自身の持つ世界新記録を更新して優勝。また日本選手権では2006年から2008年まで5000mおよび10000mの2種目を3年連続で制覇。2008年には北京五輪日本代表として5000m、10000mに出場した。5000m予選での左のシューズが脱げるアクシデントにより裸足で走った姿は、多くの陸上ファンの心に刻まれたことだろう。
2005
-
2005年1月1日 第49回全日本実業団対抗駅伝
・コニカミノルタ 1位
-
2005年全日本駅伝で2年ぶりの優勝を果たし胴上げされる酒井勝充監督。
-
2005年2月20日 第39回青梅マラソン
・30km 米田 3位
-
2005年2月27日 第49回金栗記念熊日30キロロードレース
・松宮(隆) 1位、前田 6位
※松宮が自身が持つ世界記録を更新 -
2005年3月6日 第60回びわ湖毎日マラソン
・ 松宮(祐) 5位
-
2005年3月13日 第33回全日本実業団ハーフマラソン
・ 個人成績 松宮(隆) 2位
・ 団体成績 コニカミノルタ 2位 -
2005年5月1日 カージナル招待(アメリカ)
・10000m 松宮(隆) 1位
-
2005年9月25日 第53回全日本実業団対抗陸上競技選手権
・5000m ムツリ 1位
-
2005年10月16日 2005ANA北京ハーフマラソン(中国)
・ 米田 1位
-
2005年11月13日 第46回東日本実業団対抗駅伝
・ コニカミノルタ 1位
- コニカミノルタでは
- 世界初の位相コントラストマンモグラフィー「Mermaid」発売
- 世の中では
- 愛・地球博開催
- 日本人宇宙飛行士野口聡一が搭乗したスペースシャトル「ディスカバリー」の打ち上げに成功
2006
-
2006年1月1日 第50回全日本実業団対抗駅伝
・ コニカミノルタ 1位
-
2006年全日本駅伝で5度目の優勝を達成。笑顔の応援団と。
-
2006年2月19日 第40回青梅マラソン
・30km 太田 1位、山田 6位
-
2006年2月26日 第50回金栗記念熊日30キロロードレース
・坪田 2位、米田 6位
-
2006年3月5日 第61回びわ湖毎日マラソン
・ 松宮(隆) 2位
-
2006年4月22日、23日 第54回兵庫リレーカーニバル
・ グランプリ10000m ムツリ 5位
-
2006年6月30日、7月1日 日本陸上競技選手権
・ 5000m 松宮(隆) 1位
・ 10000m 松宮(隆) 1位、松宮(祐) 4位、太田 8位 -
2006年7月9日 第49回札幌国際ハーフマラソン
・ ムツリ 6位
-
2006年11月12日 第47回東日本実業団対抗駅伝
・ コニカミノルタ 6位
- 世の中では
- トリノオリンピック開催
- 第1回ワールド・ベースボール・クラシック開催
- FIFAワールドカップドイツ大会、開幕
2007
-
2007年1月1日 第51回全日本実業団対抗駅伝
・ コニカミノルタ 4位
-
2007年2月4日 第41回青梅マラソン
・ 30km 太田 2位、下重 3位、前田 5位
-
2007年3月11日 第35回全日本実業団ハーフマラソン
・ 個人成績 米田 3位
・ 団体成績 コニカミノルタ 2位 -
2007年4月15日 第27回ロッテルダムマラソン2007(オランダ)
・ 松宮(隆) 2位
-
2007年6月29日、30日 日本陸上競技選手権
・ 5000m 松宮(隆) 1位
・ 10000m 松宮(隆) 1位 -
2007年7月28日 ナイト オブ アスレチックス(ベルギー)
・ 5000m 松宮(隆) 5位
※日本記録更新 -
2007年8月30日 世界陸上2007大阪
・ 5000m 松宮(隆)予選15位
-
2007年11月11日 第48回東日本実業団対抗駅伝
・ コニカミノルタ 3位
-
2007年12月2日 第61回福岡国際マラソン
・ 松宮(祐) 4位
- コニカミノルタでは
- フォト・カメラ事業を終了
- 世の中では
- 米大リーグ・オールスターでイチロー選手がMVP受賞
- ゴルフ石川遼選手が男子プロツアー最年少優勝
2008
-
2008年1月1日 第52回全日本実業団対抗駅伝
・ コニカミノルタ 1位
-
2008年全日本駅伝で両手を広げて優勝のゴールテープをきる磯松大輔。
-
2008年2月17日 東京マラソン2008
・太田 10位
-
2008年2月24日 第52回金栗記念熊日30キロロードレース
・下重 1位、前田 2位、米田 6位
-
2008年3月2日 第63回びわ湖毎日マラソン
・ 池永 8位
-
2008年びわ湖毎日マラソンで8位でゴールする池永和樹。
-
2008年5月4日 カージナル招待(アメリカ)
・ 10000m 松宮(隆) 4位
-
2008年カージナル招待にて、同年北京五輪10000mの参加標準記録を突破しガッツポーズの松宮隆行。
-
2008年6月26日、28日 日本陸上競技選手権
・ 10000m 松宮(隆) 1位
・ 5000m 松宮(隆) 1位
※これを受けて北京オリンピックに出場決定 -
2008年日本選手権での松宮隆行。この年、5000mと10000mの2種目で三連覇を果たすという偉業を成し遂げた。
-
2008年日本選手権でスパートをかける松宮隆行。
-
表彰台での松宮隆行。
-
2008年8月17日、20日 北京五輪(中国)
・10000m 松宮(隆) 31位
・ 5000m 松宮(隆)予選1組13位 -
2008年北京五輪5000m予選で左のシューズが脱げてしまった松宮隆行は、それでも懸命にゴールを目指した。(写真提供:フォート・キシモト)
-
2008年北京五輪で10000mを走る松宮隆行。(写真提供:フォートキシモト)
-
北京五輪。松宮隆行は10000mと5000mの2種目に出場。(写真提供:フォートキシモト)
-
2008年11月3日 第49回東日本実業団対抗駅伝
・コニカミノルタ 2位
-
2008年12月7日 第62回福岡国際マラソン
・松宮(祐) 8位
- 世の中では
- 北京オリンピック開催
- リーマン・ショック
2009
-
2009年1月1日 第53回全日本実業団対抗駅伝
・コニカミノルタ 4位
-
2009年2月15日 第47回延岡西日本マラソン
・前田 1位
-
2009年2月15日 第43回青梅マラソン
・30km 黒﨑 1位
-
2009年2月22日 第53回金栗記念熊日30キロロードレース
・山田 4位
-
2009年3月15日 第37回全日本実業団ハーフマラソン
・松宮(祐) 5位
-
2009年4月19日 第11回長野マラソン
・下重 7位
-
2009年9月25日、26日 第57回全日本実業団対抗陸上競技選手権
・ 5000m 松宮(隆) 6位
・ ジュニア5000m 新田 1位 -
2009年11月3日 第50回東日本実業団対抗駅伝
・コニカミノルタ 3位
- 世の中では
- 歌手のマイケル・ジャクソン氏が死去
全日本実業団対抗駅伝は好成績が続いていたものの、2011年には故障者が続出して9位に低迷。チームはすぐさま体制立て直しを進め、翌2012年には大会新記録で2位に入ると、続く2013年には1位に返り咲き。2013年4月に磯松大輔が新監督に就任し、2014年も1位を獲得した。東日本実業団対抗駅伝でも2012年から2014年まで3連覇を達成。2013年8月には最新の設備を備えた選手寮「パークアスリーツ」が完成。
2010
-
2010年1月1日 第54回全日本実業団対抗駅伝
・コニカミノルタ 2位
-
2010年全日本駅伝にて最長22.3kmのエース区間、第4区を走る黒﨑拓克。
-
2010年2月14日 第48回延岡西日本マラソン
・下重 1位
-
2010年2月21日 第44回青梅マラソン
・30km 太田 1位、新田 8位
-
2010年2月28日 東京マラソン2010
・ ムワニキ 6位
-
2010年2月28日 第54回金栗記念熊日30キロロードレース
・ 黒﨑 2位、山田 5位、池永 10位
-
2010年3月7日 第65回びわ湖毎日マラソン
・米田 5位
-
2010年びわ湖毎日マラソンでフルマラソンに初挑戦した米田尚人は、5位(日本人3位)でゴール。
-
2010年3月21日 第38回全日本実業団ハーフマラソン
・松宮(隆) 7位
-
2010年4月25日 第58回兵庫リレーカーニバル
・ 10000m 宇賀地 6位
-
2010年6月4日 日本選手権
・ 10000m 宇賀地 8位
-
2010年8月29日 第24回北海道マラソン
・ 下重 6位
-
2010年11月3日 第51回東日本実業団対抗駅伝
・ コニカミノルタ 3位
-
2010年12月5日 第64回福岡国際マラソン
・ 松宮(隆) 3位
- コニカミノルタでは
- 高速デジタル印刷システム「bizhub PRESS C8000」発売
- 世の中では
- バンクーバーオリンピック開催
- FIFAワールドカップ南アフリカ大会開催
- 上海万博開催
2011
-
2011年1月1日 第55回全日本実業団対抗駅伝
・ コニカミノルタ 9位
-
2011年2月6日 第60回別府大分毎日マラソン
・ 下重 7位
-
2011年2月20日 第45回青梅マラソン
・ 30km 新田 5位
-
2011年6月10日 日本陸上競技選手権
・ 10000m 宇賀地 3位
-
2011年7月7日 アジア陸上競技選手権 兵庫・神戸大会
・ 10000m 宇賀地 4位
-
2011年8月28日 第25回北海道マラソン
・ 松宮(祐) 10位
-
2011年9月23日 第59回全日本実業団対抗陸上競技選手権
・ 10000m クイラ 6位
-
2011年10月9日 シカゴマラソン(アメリカ)
・ 下重 10位
-
2011年11月3日 第52回東日本実業団対抗駅伝
・ コニカミノルタ 2位
- コニカミノルタでは
- カセッテ型デジタルX線撮影装置『AeroDR』発売
- 世界初のりん光発光材料のみを使用した有機EL照明パネルを発売
- 世の中では
- 東北地方太平洋沖地震(Mw 9.0/東日本大震災)が発生
- FIFA女子ワールドカップドイツ大会が開催され、日本女子代表、なでしこジャパンがサッカーの世界選手権では男女を通じて史上初めてアジアのチームが優勝
- 日本で全国のアナログ放送が正午に終了
- 世界人口が70億人に達する
2012
-
2012年1月1日 第56回全日本実業団対抗駅伝
・ コニカミノルタ 2位
-
2012年2月12日 第50回延岡西日本マラソン
・ 池永 2位
-
2012年2月19日 第56回金栗記念熊日30キロロードレース
・ 宇賀地 1位、新田 3位
-
2012年2月26日 東京マラソン2012
・ 松宮(隆) 7位
-
2012年4月28日 第46回織田幹雄記念国際陸上
・ 5000m 松宮(隆) 3位
-
2012年6月9日 日本陸上競技選手権
・ 10000m 宇賀地 4位
-
2012年11月3日 第53回東日本実業団対抗駅伝
・ コニカミノルタ 1位
- コニカミノルタでは
- オンデマンド出力サービス国内最大手のフェデックス キンコーズ・ジャパン株式会社を買収
- 「コニカミノルタプラネタリウム“天空” in東京スカイツリータウン」オープン
- 世の中では
- ロンドンオリンピック開催
2013
-
2013年1月1日 第57回全日本実業団対抗駅伝
・コニカミノルタ 1位
-
2013年全日本駅伝で5年ぶりに日本一に輝き、松宮隆行喜びのゴール。
-
2013年2月3日 第67回香川丸亀国際ハーフマラソン
・宇賀地 3位、伊藤 7位
-
2013年2月10日 第51回延岡西日本マラソン
・黒﨑 2位
-
2013年2月17日 第47回青梅マラソン
・30k 伊藤 1位、谷川 2位、山本 4位
-
2013年青梅マラソン、1時間30分21秒で優勝した伊藤正樹は、33年ぶりに大会記録を更新。(写真提供:報知新聞社)
-
2013年2月24日 東京マラソン2013
・松宮(隆) 9位
-
2013年3月17日 第41回全日本実業団ハーフマラソン
・谷川 8位
-
2013年4月 磯松大輔監督就任
-
2013年4月21日 第15回長野マラソン
・黒﨑 3位
-
2013年5月18日、19日 第55回東日本実業団陸上競技選手権
・10000m キウバニ 3位、クイラ 4位、松宮(隆) 6位、撹上 8位
・5000m 宇賀地 4位、菊地 5位 -
2013年6月8日、9日 日本陸上競技選手権
・10000m 宇賀地 3位
・5000m 菊地 4位 -
2013年8月10日 世界陸上2013モスクワ(ロシア)
・10000m 宇賀地 15位
-
2013年モスクワ世界陸上10000mに出場した宇賀地強。(写真提供:フォートキシモト)
-
2013年8月25日 第27回北海道マラソン
・下重 3位
-
2013年11月3日 第54回東日本実業団対抗駅伝
・コニカミノルタ 1位
- コニカミノルタでは
- 経営体制を再編し、社名を「コニカミノルタ株式会社」に変更
- 世の中では
- イチロー選手が日米通算で史上3人目となる4000本安打達成
2014
-
2014年1月1日 第58回全日本実業団対抗駅伝
・コニカミノルタ 1位
-
2014年全日本駅伝で優勝のゴールテープを切る菊地賢人。
-
2014年2月16日 第42回全日本実業団ハーフマラソン
・菊地 2位
-
2014年6月8日 日本陸上競技選手権
・5000m 菊地 3位
-
2014年9月21日 シドニーマラソン(オーストラリア)
・宇賀地 4位
-
2014年10月10日 第62回全日本実業団対抗陸上競技選手権
・10000m クイラ 5位
-
2014年11月3日 第55回東日本実業団対抗駅伝
・コニカミノルタ 1位
-
2014年12月7日 第68回福岡国際マラソン
・宇賀地 9位
- 世の中では
- ソチオリンピック開催
- FIFAワールドカップブラジル大会開催
国内外の主要な大会で結果を残しつつもベテラン選手の活躍が続き、若手の育成にはまだ課題が。このため最先端のトレーニング方法を取り入れ、フィジカル、メンタルなど様々な面を強化。2019年には東日本実業団対抗駅伝で5年ぶりに優勝を果たした
2015
-
2015年1月1日 第59回全日本実業団対抗駅伝
・コニカミノルタ 2位
-
2015年2月1日 第64回別府大分毎日マラソン
・山本 3位
-
2015年2月8日 第53回延岡西日本マラソン
・真家 10位
-
2015年2月15日 第49回青梅マラソン
・ 30km 小板橋(天) 8位、小板橋(海) 9位
-
2015年2月15日 第43回全日本実業団ハーフマラソン
・ 菊地 3位、設楽 5位
-
2015年3月1日 第70回びわ湖毎日マラソン
・野口 5位
-
2015年4月19日 第17回長野マラソン
・谷川 2位
-
2015年6月27日 日本陸上競技選手権
・10000m 設楽 6位
-
2015年8月30日 第29回北海道マラソン
・谷川 2位
-
2015年11月3日 第56回東日本実業団対抗駅伝
・コニカミノルタ 4位
-
コニカミノルタ24時間リレーマラソン。市民ランナーとともに走ることの楽しさを満喫
- 世の中では
- 野球の国際大会WBSCプレミア12開催
2016
-
2016年1月1日 第60回全日本実業団対抗駅伝
・ コニカミノルタ 2位
-
ニューイヤー駅伝(全日本実業団駅伝)では2位。写真は1区の西池和人
-
2016年2月21日 第60回金栗記念熊日30キロロードレース
・ 設楽 1位、菊地 4位
-
2016年6月24日 日本陸上競技選手権
・ 10000m 山本 7位
-
2016年9月18日 シドニーマラソン(オーストラリア)
・ 谷川 1位
-
2016年シドニーマラソンの39kmでスパートを仕掛け、見事に優勝を果たした谷川智浩。(写真提供:インプレスランニング)
-
2016年11月3日 第57回東日本実業団対抗駅伝
・ コニカミノルタ 7位
-
2016年11月6日 ニューヨークシティマラソン(アメリカ)
・ 山本 4位
-
2016年ニューヨークシティマラソン。第2集団の中で粘った山本浩之は、日本人男子としては同大会過去最高の4位で入賞。
- コニカミノルタでは
- コニカミノルタジャパン株式会社発足
- 世の中では
- 熊本地震が発生
- リオデジャネイロオリンピック開催
2017
-
2017年1月1日 第61回全日本実業団対抗駅伝
・コニカミノルタ 5位
-
2017年2月19日 第51回青梅マラソン
・30km 神野 3位
-
2017年2月26日 東京マラソン2017
・山本 10位
-
2017年7月2日 ゴールドコーストマラソン(オーストラリア)
・野口 1位
-
2017年ゴールドコーストマラソンで野口拓也はゴール直前でケニア人選手を追い抜き、自己新記録で優勝。(写真提供:GoldCoastMarathon)
-
ジョギング教室日野。市民ランナーと触れ合う貴重な機会
- コニカミノルタでは
- 産業革新機構と米国遺伝子診断会社アンブリー・ジェネティクス社の買収合意
- 世の中では
- ドナルド・トランプが第45代アメリカ合衆国大統領に就任
2018
-
2018年1月1日 第62回全日本実業団対抗駅伝
・コニカミノルタ 7位
-
2018年2月18日 第62回金栗記念熊日30キロロードレース
・蜂須賀 3位
-
2018年3月4日 第73回びわ湖毎日マラソン
・野口 10位
-
2018年7月1日 ゴールドコーストマラソン(オーストラリア)
・野口 4位
-
2018年8月26日 第32回北海道マラソン
・クイラ 2位、谷川 3位
-
2018年11月3日 第59回東日本実業団対抗駅伝
・コニカミノルタ 5位
- コニカミノルタでは
- 個別化医療(プレシジョン・メディシン)に向けたソリューションサービス事業を担う新会社として、コニカミノルタプレシジョンメディシンジャパン株式会社を設立
- 世の中では
- 平昌オリンピック開催
2019
-
2019年1月1日 第63回全日本実業団対抗駅伝
・コニカミノルタ 5位
-
2019年2月10日 第47回全日本実業団ハーフマラソン
・クイラ 2位
-
2019年5月18日、19日 第61回東日本実業団陸上競技選手権
・10000m ランガット 3位
・3000mSC 大山 3位
・5000m ランガット 1位 -
2019年9月15日 マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)
・ 山本 12位、谷川 19位 ※上位2名が東京五輪のマラソン日本代表に内定する選考会として開催
-
2019年MGC。ゴール目前の山本浩之。15km過ぎのペースアップに対応できず順位を落とすも後半にペースを上げ、2時間15分52秒で12位に。
-
2019年MGC。5kmの給水地点で転倒しながらも、厳しい残暑の中で懸命に走る谷川智浩。2時間18分56秒の19位でゴール。
-
2019年11月3日 第60回東日本実業団対抗駅伝
・コニカミノルタ 1位
-
2019年東日本駅伝で2位に38秒差をつけゴールする野口拓也。チーム一丸となり、5年ぶりの優勝を果たした。
- 世の中では
- 平成天皇が退位し、元号が平成から令和に改元。
1月の全日本実業団対抗駅伝は、ゴール前のデッドヒートを制して8位に入り、6年連続入賞を果たした。悲願の全日本王座奪還、そして2024年のパリ五輪への出場を目指して、コニカミノルタ陸上競技部はこれからもステップアップを図っていく。
2020
-
2020年1月1日 第64回全日本実業団対抗駅伝
・ コニカミノルタ 8位
-
2020年全日本駅伝ではプレイングコーチの宇賀地強がチームを入賞圏内の8位に押し上げる力走。
-
2020年2月2日 第74回香川丸亀国際ハーフマラソン
・ 菊地 5位
-
2020年2月16日 第64回金栗記念熊日30キロロードレース
・ 川端 2位
-
悪天候の中、2020年熊日30キロロードレースで2位入賞を果たした川端千都。
-
2020年3月1日 東京マラソン2020
・ 菊地 14位
-
2020年東京マラソン、菊地賢人は自己記録を大きく更新する2時間7分31秒でゴール。